Gakushuin Shinshinkai

「内藤とうがらし」と「地蔵」物語

昔、むかし、今から300年ほど前、徳川将軍家が日本を統治していた江戸時代(1603~1868年)に、信州高遠藩主内藤氏の江戸藩邸下屋敷(現在の新宿御苑)の菜園でその唐辛子は栽培を始められた。明治以降、東京の都市化にともない栽培されなくなっていったが、現在も消滅品種とはならず保存されている。「新宿生まれの野菜」には、他に「内藤カボチャ」と「鳴子ウリ」があり、内藤に宿場が出来た頃には特産物となっていった。
江戸日本橋から数えて甲州街道に存在する最初の宿場となった内藤新宿が元禄11年(1698年)に開設され、享保3年(1718年) 幕府の廃止の決定までの間、旅籠屋、茶屋が増え、岡場所としても賑わっていた。
近郊の農村でも盛んに栽培された八房系唐辛子であるが、甲州街道沿いにもその存在を示すものが残っている。

「甲州道中 八日市宿」(現・八王子市八日町)沿いのお寺「神竜山 禅東院」内の「立て札」には
★とうがらし地蔵縁起★
寛文11年(1671年)8月24日建立。当時「本宿」(八王子本町)は、薮の内と呼ばれ周辺の農家で、唐辛子が多く作られていた。江戸時代飢饉の際、内藤新宿の「八つ房」と言う問屋に卸し、この地の人々が、大変助かったという記録が残っている。人々はここで育った「とうがらし」をお地蔵様にかけ、いつしか親しみを込めて「唐辛子地蔵」と呼んだ。
地蔵とは字の如く地の蔵、この地で育つものが実を結び花を咲かすことを願った。縁日は、昭和20年代まで盛大に行われていた。
・・・・「唐がらし 浮世の味はこんなもの」・・・・
以上「立て札」より
とうがらし地蔵大祭★
【由縁】寛文11年(1671)建立。当時この地では唐辛子栽培が盛んでありました。在る時、商いが大成功したことから、御礼に唐辛子を御地蔵様にお供えする様になりました。以来、開運厄除のとうがらし地蔵として親しまれ、市が立ち七味唐辛子が名物となりました。

とうがらし地蔵大祭

とうがらし地蔵大祭

毎年4月から10月にかけて、新宿周辺で内藤とうがらし復活プロジェクトや料理フェアが開催されています。是非お出かけを。
以上諸説あり。お~しまい。
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★内藤頼誼(ないとう よりよし)氏
yoriyoshi_naito_s【旧高遠藩主・内藤家17代当主、元朝日新聞アメリカ総局長、伊那市(高遠町)名誉市民、元新宿区教育委員、一般社団法人 学習院桜友会前会長(昭29高) 】
私の先祖(2代目)が徳川家康から与えられた広大な屋敷地の一部は、江戸中期に幕府に取り上げられて宿場となり、新しく開いた宿場だから「(内藤)新宿」。これが今日の地名の由来です。残りの土地は新宿御苑になりました。
宿場の開設に先立って、先祖(7代目)は高遠藩3万3千石の藩主となり、明治維新まで8代、180年にわたって藩主を務めました。

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